姉妹の行方

ドライブマイカーで濱口竜介の脚本にいたく感動して、本編と隣り合わせで演劇として進んでいく「ワーニャ伯父さん」を二冊借りる。一冊は浦雅春訳、もう一冊は自分の不届でやっと借りられた小野理子訳。ドライブマイカーで使われていたのは浦雅春訳のほう。

浦雅春はかなり簡略化されていて戯曲初心者にはとっつきやすい。小野理子訳は昔ふうながらもくどすぎず、丁寧な解説もあって良かった。

映画のソーニャ(ワーニャの姪)は韓国手話を使って話す。後ろからワーニャ伯父さんを抱きしめるようにして、彼の顔の前で手話を見せる。彼女の凛々しい顔つきと手話の力強さを見た時にはもうたまらなくなって、どうしても本としてあのシーンを読みたかった。

大学にいた時は図書館に溢れるくらいの世界中の小説や戯曲が置いてあったというのに、戯曲の良さに気付いたのは卒業した後だった。台詞の堅さや小説とは違う形式にぴんと来なかったんだろう。昔台本だって書いてたのに…翻訳者によって受け取る印象がこんなにも変わる、というのを戯曲では体感してこなかった。

在籍していた大学に、絶版で市外の図書館から取り寄せるような小説も置いてあると知った時は本当に驚いた。勿体無いことをしたけどあの時は今とは違うものに惹かれ違う本を読んでいたんだから。人の数だけある虚しさや悲しみが倒錯する姿を描くチェーホフが愛おしい。と今気付けて嬉しい。

ちなみに古典で〜かしら、の語尾を見るのは大好き。今のインタビューでその訳し方をしてるのを見ると違和感があるけど。

 

ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。
長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。

安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。

そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。

(中略)

あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。

チェーホフ「ワーニャ伯父さん」浦雅春訳 p.127〜より

 

小野理子訳は以下。

ね、ワーニャおじさん、生きて行きましょう。長いながい日々の連なりを、果てしない夜ごと夜ごとを、あたしたちは生きのび、運命が与える試練に耐えて、今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働き続けましょう。
そして寿命が尽きたら、おとなしく死んで、あの世に行き、「私たちは苦しみました、泣きました、ほんとにつろうございました」と申しあげましょう。

(中略)

喜んで、今の不幸を、ああ、よくやったと微笑をもって思い返して……、そしてゆっくり休めるでしょうよ。