新宿西口から地上に出れなくて数十分彷徨う。ぴゃんとさえに会えて嬉しかった、今度はまいこも。安心してずっと笑えて本当に楽しい。皆悩みながら生きている。
お守り
2月末にグロムス腫瘍の手術をして右半分を抜爪。1ヶ月経った今は患部に物が当たらなければ家事もできるようになった。
本当に爪生えてくるんだろうか?
これで気力を削られたみたいで今も本調子ではない気がする。(何かに対してやる気が満ち溢れるみたいなことがない)
その間に観た映画はテルマ&ルイーズ、アメリカン・フィクション、エイリアンのあとはコワすぎシリーズ8作、マルセル。
コワすぎシリーズは体調悪い時にしか観れないと思って観たら1作目の音量の差・カメラ揺れで体調悪化。他に何かする気も起きなかったので続けて観たら1作ごとに改善されて観やすくなり、話自体も面白くてどんどん観てしまった。おかげで映画がまた日常的に観れるようになったからこんなにありがたいことはない。
シリーズもの苦手なのに。
本は、斉藤真理子「本の栞にぶら下がる」、「チベット幻想奇譚」、閻連科「中国のはなし」、桐野夏生「燕は戻ってこない」、奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌を」、野溝七生子「山梔」。
前2冊は2月に、他は3月に読み終わったもの。
ロシア文学研究者である著者のエッセイ「夕暮れに夜明けの歌を」は特に良い。専門時代、ずっと学校に張り付いて勉強に明け暮れた日々を思い出した。それから大学でラテンアメリカ文学に出会って私の文学の世界が大きく広がったことも。あの時は本当に本当に学ぶことが楽しかった。今は小さな火でも持ち続けていると思いたい。
その後に山梔を読んで、主人公阿字子の読書熱に圧倒された。
本は素晴らしい。なんて素晴らしい。
手術前も「本の栞にぶら下がる」に書いてあった鶴見俊輔のエピソードに勇気をもらったのだった。
戦時中に軍属でジャワ島にいたとき、胸部カリエスの手術を麻酔抜きで二度も受けたというのだから。
斉藤真理子『本の栞にぶら下がる』より
私は指の根本の麻酔を怖がっていたが、そんな次元ではない。
最後に「中国のはなし 田舎町で聞いたこと」にあった素敵な詩を引用する。
「零落して泥と成り、碾(ひ)かれて塵と作(な)るも、只香りは故(もと)の如く有り」
花が散り地面に落ちて泥となり、ひきつぶされて塵となっても、ただ香りだけはもとのままのようだ
陸游「ト算子・詠梅」より
雨
同居人が怪我をして救急で運ばれる朝。もしウォーキング中反対方向に歩いてたらすぐ気付けたのに、とない過去を思う。もしそうだったとしても、血だらけの姿を見たら卒倒したに違いない。
私は抜爪と縫合部分が痛くて家事がほとんど出来ないし、二人で怪我(?)して包帯だらけの変な家になっている。申し訳ない。同居人は気付いてないけどずっとハイだし、誰か力ずくで明日の出社を止めて欲しい。
茶柱を寝かせる
繁忙期が始まった。今の仕事は決まった時期にあるのではなく、朝outlookを見て異常な数が来ていたらその日から忙しくなる。分かりやすくて憎たらしい。
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忙しさや手術のことを考えると中々気持ちは上がらないけど、ピンちゃんの家に泊まりに行けて良かった!
こういう日に限って残業になる。急いで家を出て待ち合わせ、ピンちゃんが気になっていた中華料理屋で揚げ・焼き・茹で餃子を制覇。家に着いた後もお菓子を食べながら孤独のグルメを観て、翌日のお昼に向けてベトナム料理屋を予約する。朝起きたらファミレスでモーニングを食べ、綺麗で広くて完ぺきな部屋を泣く泣く後にしてベトナム料理を食べる…
びっくりするぐらい食べてばかりだ。
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私は家に人を呼ぶのが好きだ。でも気持ちが昂りすぎてもはや接待になる。そこに座っているだけでいいからね、これ食べる?あれもある!前日の掃除はちょっと手を抜くくらいがいいからね、と思いつつ終わってみたらどこもかしこもビカビカになっていて自分でもびっくりする。見栄っ張りなんだと思う。
ピンちゃんはその距離感がすごく適切で、思わずじーんと来た。
友達だってあんまりにも整頓されていると息もつけないのではないだろうか。私は綺麗な家を見せたいんじゃなくて、自分の好きな場所で好きな人にゆっくりして欲しいんだ!
ほどほど、一番難しいけど、一番目指している。
闘争、逃走、凍りつき
あれから読んだ本。
イラン・パペ「パレスチナの民族浄化」、アダム・オールサッチ・ボードマン「ゴーストの歴史」、柴田聡子「きれぎれのダイアリー」、ミン・ジン・リー「パチンコ 下」、カミーユ・エマニュエル「跳ね返りとトラウマ そばにいるあなたも無傷ではない」。
パチンコは一年越しの読了。ぐいぐい引き込ませる力があるんだけど、史実に基づいてるのもありエンタメとして消費できず、中々手を出せなかった。
「跳ね返りとトラウマ」は、フランスで起きたシャルリ・エブド襲撃事件に基づいている。当時風刺画家として働いていた夫は寝坊によりたまたま襲撃を逃れたものの、数分後に着いた時に見た凄惨な現場、犯人が空に向かって撃った威嚇砲によって深刻なトラウマを抱えることになる。本作はその「直接被害者」を支える著者の話。
「間接被害者」とは違う、被害を矮小化しない言葉は何か。そこで著者が出会ったのが「跳ね返り」。今までの自分の価値観を大きく揺るがすような出来事に出会うと、それによって影響を受けるのは本人だけではなく、当人の近くにいて支えることになる近親者にも当てはまる。しかしスポットライトを当てられるのは直接被害者のみであり、跳ね返りである彼らは「大丈夫?」とは聞かれず、「(直接被害者は)大丈夫?」と聞かれるだけ。
この「自分は被害者に値しない」というのはよく聞く話だ。以前友達が勧めてくれた能登半島地震についてのzoom講座で、現地の人の声を聴くと「●●に比べたら」、●●にいる人は「▲▲に比べたら」、▲▲にいる人は「東日本に比べたら」「だから自分の被害はまだましなんだ…」と言っていたと話していてとても印象的だった。
映画はシュエ・シャオルー「海洋天堂」、あーりんに激推しされたデヴィッド・セレン「ターボ」、チョン・ゴウン「小公女」、チャン・イーモウ「サンザシの樹の下で」。
これらは全部家で観て、先日バス・ドゥヴォスの「ゴースト・トロピック」を観てきた。映画館初め、良い映画だった。
それからジョナス・メカスの「Travel Songs」「幸せな人生からの拾遺集」を観たのも思い出。
ジョナス・メカスが美術館で、それも1000円で観れるなんて!ヨギボーみたいなクッションに寄りかかって観たから途中寝かけた。朝からうっすら続いていた頭痛が悪化したので途中喫茶店に寄る。コーヒーを飲むが治らないのでそのまま帰る。
翌日年を重ね、秋刀魚の3枚おろしを覚える。
2024/2/5
先が見えないまま続けてたから、こうやって結果が出ると本当に嬉しい。良かった。
プーマの時も「無理だと思ってた」と言われた。無理だと思ってやらないのと、無理だと思いつつもやり続けるのはやっぱり大きく違ってくると思う。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC059XM0V00C24A2000000/
明日で4ヶ月。